冬景色
昭和30年代!

人間ドック

夫婦間でミニ人間ドック(3)

      ≪ミニ人間ドック

だるい 疲れる 水を飲む



昔、糖尿病といえば成人病の一種のように考えられていましたが、近頃は若い人の中でも増殖しているようです。

問題は、糖尿病の典型的な症状が出てから気がついても少々手遅れで、一日も早く軽い段階で発見することです。

前日、慣れない仕事をしたり、徹夜をすれば、誰でも疲れやすくなったり、なんとなく全身がだるいのは当然ですが、そうではなく、何も変わったことがないのに、いつもだるい、いつも疲れやすい、そして”やたらに水を飲む”という3つの特徴です。

こうした気配が見えたら、まず糖尿病を疑ってみましょう。特に家系に糖尿病のある人などは、尿糖の検査だけでは不十分で、糖負荷試験をきちんとしてもらうことです。

糖尿病と聞いてもあまりピンとこない人が少なくありませんが、進むと動脈硬化が急速に進んで、心筋梗塞、脳卒中など、取り返しのつかない事態に追い込まれます。成人の失明のトップも断然糖尿病で占められています。

特に警戒しなければならない要注意の人の条件とは・・・

 ◎は特に重要で、以下のうち3つ4つ思い当たるフシがあったら、直ちに要検査です。

◎ 家族に糖尿病がある。
◎ 20代前半よりも20%以上太った。
○ 家族に心筋梗塞や脳卒中、肥満の人がいる。
○ あまり歩かない、運動しない。
○ 甘いものや油気のものが好き。
○ イライラすることが多い。
○ お酒をよく飲む。

 あなたのベターハーフは、いかがでしょうか?

人間ドック

夫と妻のミニ人間ドック(2)

   ≪夫婦間でミニ人間ドック≫

胸痛

胸痛にも、さまざまな原因によるものがありますが、男声5才あたりから最も気をつけなければいけないのは、心臓の冠動脈の動脈硬化による狭心症と心筋梗塞です。

前者は動脈硬化のために、一時的に血流が中断するがニトログリセリン製剤を飲んだり安静にすると。しばらくして元に戻ります。

後者の場合には血流が再開せず、そのため、そこから先の心臓筋肉が壊死を起こすので一命にかかわります。

しかし、最初から心筋梗塞が始まることは稀で、多くは2回3回と狭心症を繰り返しているうちに、ドカッと心筋梗塞に至るというケースの方が圧倒的に多いのです。

狭心症の痛みの特徴は、胸が締め付けられるような、重苦しいような、
なんとも不快で不吉な感じで、いわゆる締扼感とも呼ばれます。困ったことには、早ければ1〜2分、長くても数分のうちには、ホーッと元に戻ってしまうので、”オヤ”というだけで見過ごしてしまうことが多いのです。

痛みの部位も、ちょうど心臓のあたり、ということもありますが、胃や背中が傷んだり、左右の腕に痛みが流れることも少なくありません。

いずれにしても、この狭心症の段階でくい止め、絶対に心筋梗塞にまで発展させないことが大切で、そのためもしやと思われる場合は、必ず循環器専門医の精密検査を受けるようにしましょう。

ニトログリセリン製剤の絆創膏(テープ)のようなものが出来ており、これを常時体表に貼り付けておくと発作予防が出来るようになりました。

男声は35〜40才あたりの罹患率が高く、女性は閉経期前後から起こりやすくなります。

なお、心筋梗塞の痛みは、もっと激烈で、顔面蒼白、胸に焼けた火箸を突っ込まれたような痛みで、本人自身今にも死ぬのではないかという恐怖感に襲われるものです。

時々、”私は定期検査で心電図に異常はなかったから安心”と信じ込んでいる人がいますが、あてにならないことが少なくないので、十分に気をつけることです。

なお、胸のあたりがチクチク痛んだりするのは神経痛その他の病気で、命に別条があるわけではありません。

それにしても年になったら、一度診察を受けておくに越したことはありません。


貧血・だるさ・息切れ

特にどこが悪いというわけでもないのに、いつもなんとなく全身がだるい。頭がボーッとしやすい。ちょっと階段を登っても動悸や息切れがしやすい。

そんなときは、一応鉄欠乏症の貧血を疑ってみる必要があります。鉄欠乏症の貧血とは、血液を構成している大切な赤血球の中の鉄分が不足するために、赤血球の数が少なくなっている状態です。

赤血球が新鮮な酸素を取り込んで全身に運ぶことができないので、なんとなく体がだるく、頭もボンヤリし、胸もハァハァしてきます。

原因としては、肉魚ぎらいなどの偏食や、急な成長(思春期)、妊娠などといったこともありますが、月経による多量の出血(特に子宮筋腫があるとき)や胃潰瘍、痔などによる出血ということもあります。

いったん貧血に陥ると食生活の改善だけでは中々治りにくく、鉄剤を飲まなければならなくなります。半年くらいは医師の指導下で根気よく飲むことです。

鉄欠乏性貧血は圧倒的に女性に多いだけに、奥さんが、どこといって悪いところはないが、息が切れやすいとか、なんだかボーッとしやすいときには多いに要注意です。


しつこい頭痛

同じ頭痛でもクモ膜下出血や脳出血、あるいは一酸化中毒の場合などのときは、誰でもまず医者にとんでいくものです。高熱を伴ったり、目、鼻、耳などの痛むときも同じことでしょう。

ここでとり上げたいのは、そうした急性の激しい頭痛ではなく、いつもなんとなく頭が痛い、人によっては頭にタガがはめられたような痛みです。

難しくいえば、たいていは筋収縮性頭痛と呼ばれるもので、ためしに肩や背中を揉んであげると、”アーッ、気持ちがいい!”と言います。

ほとんどは持続的な精神の緊張によって起こります。市販の頭痛薬でもよく効きますが、出来ればお医者さんから精神安定剤(筋弛緩剤)をもらってそれを服用することです。

根を詰める仕事で長い時間同じ姿勢をとらないことが最大の予防法ですが、いつもいつも薬に頼っていてはいけません。そんな体質の人は、朝晩額の前で両手指を組んで、腕と首の力での押し合いっこをやってみることです。

三日坊主では効果はありませんが、こうした何でもないような運動を毎日続けていると、いつの間にか肩や首がこったり、頭が痛くなることがなくなってくるものです。

* 四季の暮らし「実用歳時記」・主婦の友社刊より転載。

人間ドック

ミニ人間ドックは夫妻間で・・・(1)

   ≪身近にいるホームドクター・その1≫

ミニ人間ドックとは

お医者さんは家の外にいるとは限りません。夫は妻にとって、妻は夫にとって最も身近なお医者さんとも言える存在なのです。

いつもそばにいて(たまにしか会えない夫婦もいるでしょうが)、誰よりも早く相手の異常に気づきやすい関係にあるからです。そして、そのためにはそれなりの知識を身につけておかなければなりません。

ちょっとでも”おかしい?!”と感じたら、「家庭の医学」を読むなり、ネットで調べて、早めに専門医に診てもらいましょう。

子供の成人病

最近では子供に大人顔負けの病気になるケースが多くなっている。心筋梗塞、心臓病、メタボ・・・。

何故こんなことになってきたのでしょう。お宅のお子さんも、ハンバーグやカレー、スパゲッティなどが大好きではありませんか。お母さん自身、忙しさのあまり手を抜いて、スーパーで買ってきた電子レンジでチンするものばかり与えてはいませんか? その結果が20年、30年の間に怖ろしい病気に進展するとしたら・・・。

今は高齢者が話題になっており、100歳を越える人も当たり前と言う時代ですが、これから20年後、30年後、果たしてどうなっているでしょうか。信長の時代に逆戻りになりかねません。

ハンバーグやカレーライスだけにしていてはいけません。お母さん手作りの、オフクロの味をもっと与えるようにして下さいね。


歯ぐきの出血

りんごをかじったり、歯を磨いたときに血はでませんか。それは歯槽膿漏の前段階としての歯肉炎の症状です。

人は20代になると70%〜80%は歯肉炎におかされ、それをそのまま放置しておくと30才あたりを境にして、歯槽膿漏に転化していきます。

いちど歯槽膿漏になってしまうと、行く末、どんなに大変かは想像するだに・・・。

歯槽膿漏の予防は、歯肉炎の予防と正しい治療が大切です。歯ブラシはナイロン製のやや固めのもの(月に一回は新品に取り替える)で、毎食後3分以内に少なくとも3分は時間をかけて十分に磨くようにしましょう。

毎食後3分以内に・・・そんなことは出来ないと云われる方がほとんどでしょう。でも心構えだけでも持っておきましょう。

それと年に少なくとも1回は歯科医に行って検診を受けるとともに、歯石をとってもらうことが大切な歯を長持ちさせるためにも必要です。


せき

寒くなりました。あちらの家からも、隣の家からも大きなくしゃみが”ハックション!!”と聞こえてきます。

40才を超えて、痰は出ないが、しつこい刺激性の”コホンコホン”という乾いたせきに悩まされたら、もしや肺ガンではと疑ってみる必要があります。

時には血痰を見ることもあり、進むと乾いたせきが湿った”ゴホンゴホン”に変わり、同時に痰が出るようになることもあります。

特に喫煙指数(1日本数×喫煙年数)が600を超える人や大気汚染のひどい地域に住む人、アスベストを使った建物で働いたり住んだことのある人などは要注意です。

肺野部に出来る肺ガンは肺のX線検査で発見されますが、こうした肺の中心に近い、太い気管支にできるガンはX線には全く写らないので、自ら進んで年に少なくとも一度は喀痰検査を受けなければいけません。

近頃は喫煙女性の増えていますが、自分では吸わない奥さんも、ヘビースモーカーの夫のそばにいると、ガンになりやすいので、ご用心、ご用心。
      次回に続く

*四季の暮らし「実用歳時記」主婦の友社刊より

スズメバチ

蜂の一刺し・・・命取り 「秋山の危険」

キケンがいっぱい・・・秋の山

紅葉見物、キノコ採り、秋山散策は心がウキウキします。でも夢中になっていると、思わぬ落とし穴に転落しかねません。

警察庁の統計によると、キノコ・山菜取りの遭難事故者は360人で全体の2割を占めたそうだ。

遭難事故も恐いが、スズメバチやクマにも要注意だ。「最も身近な危険はスズメバチ」だそうだ。

スズメバチは秋に数が最も多くなり、巣に近づくと人の周囲を飛び回る「警戒行動」を取る。巣は倒木の空洞や土中にあるため簡単にはみつからない。

もし襲われたら
・ 手で払わない
・ 急に動かず来た方向にゆっくり戻る
・ 殺虫スプレーは多数のハチに逆襲されるので慎重に
・ 暗色系の服はハチが攻撃的になるので着用しない
・ 頭髪は帽子で隠す
・ 匂いに敏感なので香水類は厳禁

識者は言う。「ハチの警戒行動は『近づくな』というメッセージ。早く気づくことが大切で、そのまま立ち去れば攻撃されることは少ない」。

不幸にも刺されたら、抗ヒスタミン軟膏を塗るのが効果的。直ちに下山し、病院で治療を受けることも必要。

クマとの”未知との遭遇”にも気をつけよう。クマは夜行性なので早朝や夕方の入山は避けるべきだが、冬眠に備える晩秋は昼もエサを探すことがある。

「もし出会ったらゆっくり後ずさりし、服や持ち物を与えて注意をそらす。大声を出したり背中を見せてはダメ」とクマの生態に詳しい人はいう。

クマは耳がいい。鈴や携帯ラジオで音を出しながら歩くなど、人の所在を知らせてやる。最悪の場合に備えてクマ撃退スプレーを携帯しておくのもいい」そうだ。

山歩きは危険と道連れだ。軽装で気軽に出かけるところではない。秋の夕暮れは早い。防寒着、非常食、ライターなどを持参することを忘れまい。

もし道に迷ってしまったら、慌てず騒がず時間を決めて道を探す、それでもダメなら動かない、時間を決めて笛などを吹く。木を硬いもので叩いて音を出す、などやってみることだ。

楽しみの秋の山歩きが苦しみにならないように、気をつけよう。

        (毎日新聞・10.15記事)より

紅葉狩り

紅葉前線異常あり

紅葉前線今年も遅延

地球温暖化の影響だろうか、紅葉の季節がこの半世紀で半月ほど遅れている。紅葉前線の南下は既に始まっているが、見ごろは例年より遅くなりそうだ。

気象庁は「地球温暖化の影響で紅葉の時期が徐々に遅れている」と分析している。紅葉の名所が多い京都でも、近年は12月に入ってから見ごろを迎えることも稀ではない。

異常が見られるのは時期だけでなく、色づきもおかしくなっているそうだ。

京都ではこの数年間、夏の猛暑や台風などで木々の傷みが激しく、カエデなどが真っ赤に色づく前に枯れて落葉する年が続いているという。

色づきに必要な条件の一つ、急激な冷え込みが無ければ紅葉の色づきが悪くなる恐れがある。ウエザーニュースによると、関東地方では11月に入って急激な冷え込みがありそうで、鮮やかな紅葉色が期待できるかも。だが、西日本では夏の猛暑と水不足の影響もあって、葉が傷んで色づきの良くない紅葉になりそうという。

(毎日新聞・夕刊2008・10・17より)

世の中の流れも気象現象と同じように、ねじが曲がっておかしくなってきている。せめて紅葉ぐらい”真っ赤”な色で愉しみたいものだ。

鞍馬の火祭り

勇壮な火の祭り 「鞍馬の火祭り」

 幽玄の炎が燃える

鞍馬の火祭(くらまのひまつり)は、京都府京都市左京区鞍馬にある由岐神社例祭の一つ。

集落各所に焚かれたかがり火の中を、氏子が松明を持って練り歩いて神社山門を目指す。

京都三大奇祭の一つに数えられる。

 概要
940年(天慶3年)、平安京の内裏に祀られている由岐明神(由岐神社)を都の北方の守護として、また当時頻発した大地震や争いなど相次ぐ世情不安を沈めるために、朱雀天皇の案により鞍馬に遷された。この時、鴨川に生えていた葦をかがり火として道々に点灯したほか、遷宮の行列は1kmにも及んだという。これに感激した鞍馬の住民がその出来事と由岐明神の霊験を伝えるために始まったものが起源といわれる。

なお、祭事は毎年10月22日(時代祭と同日)の夜に行われる。


祭事の流れ

18時頃より、「神事にまいらっしゃれ」という神事触れの合図により集落の各戸に積まれた松明に点火。

初めは主に子どもが小さな松明を、その後は青年など大人が比較的大きな松明を持って「サイレイヤ、サイリョウ」(祭礼や、祭礼の意)のかけ声と共に集落内を練り歩き、「仲間」と呼ばれる御旅所へ向かう。

20時頃より、各仲間からの大松明が鞍馬寺山門前に向かう。各松明は山門前にひしめき合い、その後石段下の一ヶ所に焼き捨てられる。
石段奥の注連縄が切られて、八所大明神、由岐大明神の順序で神社から神輿が下る。参道が急なため、スピードが出過ぎないように女性が綱を牽く。(この綱を牽くと安産になると伝えられるので、若い女性が多く参加している)

神輿が降りる際、ふんどし姿の青年が担ぎ棒にぶら下がり、これを『チョッペン』という。これは元服の儀式であり、鞍馬の青年にとって、一生に一度の成人の儀式。
神輿が集落内を練り歩き、御旅所に安置される。
神楽の奉納のあと、神楽松明が境内をまわる。(24時頃終了)
翌2時頃、神輿が御旅所から神社に戻る「還幸祭」が行われ、祭事のすべてが終了する。

見学者の状況

鞍馬集落が狭隘なため、入山できる人数は物理的に限られている。また、集落内は立ち止まって見学することが難しい場所もあり、特に鞍馬寺山門前は見学者が立ち止まることを禁止されるため、神輿が下るシーンなどをよく見える場所で見学することは難しい(一部の氏子関係者や、集落内の民家で見学する際はこの限りではない)。

当日は雑踏警備の一環として、鞍馬寺山門周辺の道路は歩行者一方通行規制が敷かれる。鞍馬駅より石段下を通り鞍馬温泉方面への一方通行で、そこから鞍馬の民家の裏側を流れる川の反対側へ渡り、南へ下る。そこからまた温泉方面へ徒歩で周回しながらの見学となる。

午後3時〜翌午前2時までは規制のため、貴船口〜鞍馬温泉・百井別れまでの間は一般車両(自転車含む)全面通行禁止となる。なお、駐輪場が貴船口(鞍馬小学校付近)に開設される。

当日の午後より、鞍馬へ向かう交通機関は叡電鞍馬線しか無い。但しこの路線は2両編成の山岳路線のため輸送力に限りがあり、増発はされるものの当日夕方の鞍馬行きなどは乗車するまでに出町柳駅などでかなりの待ち時間が発生する。また、夜間の復路の乗車も同様である。なお、鞍馬集落内に収容できる人数を超えた時点で、鞍馬行きの乗車券の販売は中止となる。

太鼓、松明、御輿など祭りに関するすべての物は神が宿ると考えられているので、関係者以外は一切触れることができない。

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より転載。

さつま芋 

さつま芋がとってもおいしい季節になりました

さつま芋、ご存知ない方はいないでしょうが・・・

サツマイモ(薩摩芋、または甘藷:かんしょ、学名: Ipomoea batatas L.)は、ヒルガオ科サツマイモ属の植物。あるいはその食用部分である塊根(養分を蓄えている肥大した根)。別名に、甘藷(かんしょ)、唐芋(からいも、とういも)、琉球藷(りゅうきゅういも)。仲間に、アサガオやヨウサイ(アサガオ菜)がある。

花はピンク色でアサガオそっくりだが、短日性であることから本州ではあまり開花しない(九州や沖縄では開花する)。このため、種子を効率よく取るためにはアサガオに接木して短日処理する必要がある。

中米原産と言われている作物で、これを主食とする地域もある。また、若い葉と茎は一部地域で野菜として食べる。

もともとは南アメリカ大陸, ペルー熱帯地方から東南アジアに導入され、そこから中国を経て沖縄、九州、本州と伝わった外来植物で、日本から対馬を経て朝鮮半島へも伝わる。

このため中国(唐)から伝来した沖縄や九州では唐芋(奄美諸島では何故か薩摩芋)、沖縄(琉球)から伝来した北部九州では琉球藷、九州から伝来した本州では薩摩芋と呼ぶ。

英語のスイートポテト (sweet potato) でも知られるが、日本では単にスイートポテトと言うとサツマイモ料理の一つを指すことも多い。北米では「ヤム」 (yam) とも呼ばれるが、これは、黒人奴隷が、故郷のアフリカで栽培されていたヤムイモと同じ名で呼んだからである。

一部の種類はイポメアの名で観賞用に栽培される(「イポメア」はサツマイモ属そのものを指すので、本来は不正確である)。この種類からもイモは取れるが、鑑賞目的で選抜されたためにイモの味は食用のものには劣る。

 栽培法
サツマイモは繁殖能力が大変高いうえに、痩せた土地でも育つため素人でも比較的育てやすく、江戸時代以降飢饉対策として広く栽培されている。茎葉を土に挿し、不定根を発生させて繁殖、栽培する方法が一般的である(種から発芽させる方法もあるが、アサガオのようにつるを伸ばして生長するためイモはあまり取れない)。

春に苗を植え付け、晩夏から秋にかけて収穫する(暖地の場合)。また、肥料を与えすぎると、葉や茎が栄養を吸いすぎて育ちすぎる。そのため、根があまり成長せず、収穫が少なくなることもある。苗が植物ウィルスに感染すると収量低下を起こすため、ウィルスフリー苗が利用される事もある。


品種
ベニアズマ、ベニコマチ、紅赤(べにあか)、金時などの品種がある。でんぷん原料用としては、シロユタカ、シロサツマ、コガネセンガン(黄金千貫)など。

 天然着色料の原料
七福人参(カロテン色素を多く含む)
琉球紫
パープルスイートロード(アントシアニン色素を多く含む)

別名・地方名
琉球いも、りゅうきいも、からいも(唐芋)と呼ぶ地域もある。沖縄ではウム、ンム、伝来当時は蕃薯(はんす)。対馬地方では孝行芋とも呼ばれる。 和食においては、丸十と呼ばれる。これは、薩摩藩島津氏の家紋が丸に十字であることが由来と言われる。

日本における主産地
鹿児島県、茨城県、千葉県、宮崎県、徳島県が全国のトップ5県。この5県で全国の8割、とりわけ鹿児島県は全国の4割を産する(2005年産農林水産省作物統計)。同県ではでんぷん原料用としての作付けも多い。

 ブランド産地
徳島県 - 鳴門金時(なるときんとき)
石川県 - 五郎島金時(ごろうじまきんとき・ 加賀野菜)

 日本列島におけるサツマイモの歴史

 伝来史
1604年、琉球王国(現在の沖縄県)に伝わる。野國総管(明への進貢船の事務職長)が明(今日の中国福建省付近とされる)からの帰途、苗を鉢植えにして北谷間切野国村(現在の沖縄県中頭郡嘉手納町)に持ち帰り、儀間村の地頭・儀間真常が総管から苗を分けてもらい栽培に成功、痩せ地でも育つことから広まった。野國総管は芋大王(うむふうすう)と称えられるが、サツマイモを持ち帰ったこと以外は、よく知られていない。
後に麻平衡・儀間親方真常によって琉球全域に広められ、王国民を飢餓から救ったと伝えられている。
1609年、薩摩(現在の鹿児島県)藩主・島津家久は、徳川幕府の許可を得て琉球を攻め、幕府による鎖国が続く中、琉球からの年貢および明、清との交易を通じて、異国の文物、情報を得ることになる。
その後尚寧王より薩摩へ、また1698年には尚貞王より種子島へ送られ、種子島久基の命により種子島での栽培が始まった。なお、三浦按針が1615年平戸(長崎県)に持ち帰り九州で栽培が始まった。
1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川の前田利右衛門は、船乗りとして琉球を訪れ、甘藷を持ち帰り、近隣に広めて「カライモ」と呼び、やがて薩摩藩全域で栽培されるようになった。利右衛門は民間人として初めてサツマイモの栽培を広めたとされ、「甘藷王」として地元であがめられ、サツマイモの神様として祭られている。
1732年の享保の大飢饉により西日本が大凶作に見舞われ深刻な食料不足に陥る中、今日の長崎県と鹿児島県では餓死者を出さなかったといわれ、サツマイモの有用性を天下に知らしめることとなった。八代将軍・徳川吉宗はサツマイモの栽培を関東に広めようと決意する。そして起用されたのが、青木昆陽であった。当時、彼は儒学者としての才能は評価されていたが、その才能を買っていた八丁堀の与力加藤枝直が、町奉行・大岡越前守忠相に推挙、昆陽は、同じ伊藤東涯門下の先輩である松岡成章の著書『番藷録』や中国の文献を参考にして、サツマイモの効用を説いた「蕃藷考」を著し、吉宗に献上した。
1734年、青木昆陽は薩摩藩から甘藷の苗を取り寄せ、「薩摩芋」を江戸小石川植物園、下総の幕張村(現千葉市花見川区)、上総の九十九里浜の不動堂村(現九十九里町)において試験栽培し、1735年栽培を確認。これ以後、サツマイモが関東一円に広がるきっかけをつくった。その後、サツマイモは東日本にも広く普及するようになる。
幕末から明治期には川越の赤沢仁兵衛が実験・研究しまとめた「赤沢式甘藷栽培法」によって収穫量が劇的に増加する。
このように、サツマイモは飢饉時に多くの人を飢えから救ってきた。

1898年、埼玉県木崎村の主婦山田いちが、従来のサツマイモより遥かに甘い突然変異種・紅赤を偶然発見する。サツマイモの位置づけが、飢饉食から美味しいおやつへと変わる第一歩である[要出典]。
各地にサツマイモの伝来の逸話がある。→ 愛媛県大三島では1711年にサツマイモを伝えその後の飢饉を救った下見吉十郎を顕彰した「いも地蔵」など。
サツマイモは栽培しやすいことから、太平洋戦争後の食糧難の時期にも、国民の食を支えてきた。しかしながら、食糧事情が良くなるに従って、次第に果樹等に置き換わり、サツマイモはあまり顧みられなくなった。一方、品種改良によって甘みを増した事から、むしろ飢饉食・主食の代替というより、おやつ、お菓子の原料とみなされるようになった。
近年、健康食品や、いも焼酎の原料として注目されている。
(出典:さつまいも通信さつまいも通信 参考文献:薩摩藩「三国名勝図絵」ほか)

 栄養価
でんぷんが豊富。またビタミンCや食物繊維を多く含み、便秘やダイエットに効き目があるとして、人気がある。加熱してもビタミンCが壊れにくい特長がある。


調理法

60℃程度で長時間加熱すると、デンプンを糖化する酵素が働いて甘味が増す。石焼き芋やふかし芋はこの性質により甘味を最大限引き出す調理法である。また天ぷら、スイートポテトや大学イモ、キントン、スナック菓子、干し芋などに加工されることが多い。生のまま日光に晒しておくことにより、より甘味度が増す。灰汁が多いので、切ったらすぐに水に晒す。

若い茎と葉も煮れば食用となり、煮物や甘露煮などにして食べる事もある。朝鮮半島ではナムルの材料とする。


原料・飼料としての利用

デンプン
サツマイモからはデンプンがとれ、主に春雨の原料となる。

砂糖
原料としてサツマイモを用いた砂糖は甘薯糖と呼ばれる。

焼酎
焼酎の原料にもなる(芋焼酎)。コガネセンガン(黄金千貫)が有名だが、ジョイホワイトや紅芋など多様な品種が用いられる。2000年代には焼酎ブームによりサツマイモ不足に陥った。また、中小建設業者が多角化の一環としてコガネセンガンの栽培に取り組む例もみられる。

飼料
黒豚のえさ
「かごしま黒豚」の定義では、肥育後期に飼料含量あたり20%のサツマイモを与える事が義務付けられている。サツマイモは豚肉の甘みなどの質の向上に影響し、かごしま黒豚のうま味とやわらかさはサツマイモが原因と、科学的に証明されている。[要出典]


 石焼き芋

石焼き芋の屋台は秋から冬にかけての風物詩。「いしやきぃいも〜」という特徴のある呼び声や、地域によってはピヨーーーーという独特の笛の音を響かせて町を巡る。この笛は芋を焼く窯に取り付けられており、排気ガスの圧力で鳴る仕組みになっている。
 
 甘古呂餅(かんころ餅)

甘古呂餅は長崎特産の甘藷(サツマイモ)を薄く輪切りにし、湯がいて天日で干し上げもち米と蒸して搗き合わせ、お餅に仕上げたもの。かつてもち米の貴重だった時代にその量を増やすために作られ、冬の間の貴重な保存食でもあった。長崎の崎戸・大島、五島などの島々では今でも各家庭の伝統として伝わっている。
くりよりうまい
往時、「クリのような味」を「九里に近い」とかけて、「八里半」という名も生まれていた。この呼び名は今日でも、やや転訛したハッチャンという形で長崎県諫早地方に伝わっている。なお、隣接する島原半島内ではハチリ(八里)の呼称が一般的である。
その後、焼き芋の行商等によって「九里(栗)より(四里)美味い十三里」(9+4=13)という売り言葉も派生した。これは、サツマイモの産地として知られた武蔵国川越(現在の埼玉県川越市)が、江戸から川越街道で十三里半の距離にあったことに由来すると言われており、「九里(栗)より(四里)美味い十三里半」という言い回しもある(ただし、この由来には諸説がある)。
同様に、愛媛県の佐田岬半島地域でも、佐田岬半島の長さが約13里であることから、かつては(昭和の初期頃)「栗よりうまい十三里」と言われてきた。なお、同半島は火山灰地の混じる土壌でサツマイモの産地でもある。
いずれにせよ、かつて「栗に近い」と言われていたサツマイモが「栗より美味い」と言われるようになったのは、明治以降の品種改良によるものである。
 
 芋掘り
秋、サツマイモの「芋掘り」を観光農園などで体験することができる。サツマイモは収穫しやすく、探り掘りの楽しみもあるうえ、掘った後の調理も比較的簡単であるので、学校行事等で芋掘りを行うことも多い。幼稚園・保育所などでは、秋の行事として定着しているところも少なくない。収穫したイモを園庭で焼き芋にして食べる園もある。
芋堀をテーマとする本
『ねずみのいもほり』 ISBN 4-89325-199-6
『さつまのおいも』 ISBN 4-494-00563-0
『おおきなおおきなおいも』 ISBN 4-8340-0360-4

 いもづる式
犯罪捜査で一人の容疑者に捜査が及んだのをきっかけに次々と関連する容疑者に捜査が及ぶこと、科学で一つの事実が明らかになったのをきっかけに次々と関連する事実が明らかになることなど、一つのものを端緒にして関連のものに次々にたやすく手が及ぶことを言う。芋が地下茎によってつながっており、一つの芋を掘り出せば残りの芋もつる(地下茎)を頼りにたやすく見つけることができる様子から来た言葉である。
ただし、サツマイモの芋は地下茎ではなく塊根である。塊根のもととなる不定根は地表を這っている茎の葉の付け根から出ている。よってサツマイモを探すのに地下茎をたどる必要はなく、正確にはつるは地上か地表近くにある。地下茎が膨らんで食用の芋となる植物としてはジャガイモが代表的。
イモ蛸南京 - 女性の好物とされるもの

以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載。

時代祭

時代祭も様変わり!?

各国ミス・インターナショナル代表60人が今年の”時代祭”の先触れとして参加するという。それぞれのお国の民族衣装をを着用して特別参加することになったそうだ。

今年の時代祭は源氏物語千年紀ということもあり、紫式部役の衣装も新調された。ミスたちはこの伝統行事に「列外参加」を許されたそうだが、「時代祭」と書かれた旗よりも更に前を歩き、列外ということで許されたらしい。

大勢のミスたちを見ようと集まってくる見物客も少なくはないだろうに・・・。

時代祭とはどんな行事であろうか?
時代祭(じだいまつり)は、京都、平安神宮の祭り。その創建を祝うためのものであり京都三大祭りの一つである。

起源
神宮の管理と保存のための市民組織として、平安講社が作られ、「祭り」はその記念事業として始まった。その中で祭りを盛大にするため、東京奠都以前の京都の風俗を、時代を遡って行列を行うことが提案されたので、この祭りが「時代祭り」と呼ばれるようになった。

初回は、創建されたばかりの平安神宮への参拝として明治28年(1895年)10月25日に行われ、その次の回からは、「祭神である桓武天皇と孝明天皇の二柱の御霊が、住まいであった御所から街の繁栄を見ながら行列のお供を従へて神宮へ行く」形となった。開催日も桓武天皇が長岡京から都を移し新しい都に入ったとされる日、すなわち京都の誕生日とも言える10月22日となった。祭り自体は10月15日の参役宣状祭(行列の役柄任命)から、23日の後日祭までの期間行われる。


行列の構成
行列は7つの時代、18の列でそれぞれに時代を再現した衣装や道具を身につけた人々で行われ、最初は明治維新、ついで江戸、安土桃山、吉野、鎌倉、藤原、延暦と時代を遡って続く。参加人数は約2000人、長さは2kmに及び約3時間の行程となる。先頭の名誉奉行は京都府知事、京都市長らが務める。また時代行列の後には祭り本来の主役である神幸列などが続く。

行列前方、明治維新・維新勤王隊列の鼓笛隊は官軍の山国隊で、明治28年の第1回から大正時代までは生存していた元隊士が行列に参加していた。

室町時代ではなく「吉野時代」列であったが、平成19年(2007年)より桓武天皇1200年記念大祭を機に室町時代列が新たに行列に加わった。

行列のコース
正午に京都御所を出発。丸太町通から烏丸通に入り南下、 御池通、河原町通 と京都の中心部を練り歩き、最後は三条通から神宮通に入って平安神宮に至る。約4.5キロ。

*フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載

ボスの日

ゴマスリではありません

  ボスの日って、何でしょう?

日頃の不満や愚痴はきれいさっぱり忘れ、この日ばかりは上司への感謝の気持ちをあらわしましょう。10月16日はボスの日、ボス・デーです。

ボスの日を提唱したのは、アメリカの女性パトリシア・ベイ・ハロスキ。会社経営者の父を持つ彼女は、父がすばらしいボスなのに、部下がそのことを理解していないのでは、と考えました。

部下がボスへの理解を深め、協力することが、互いの信頼関係を築き、会社の発展につながる・・・。

こう思った彼女は、1958年10月16日に、商工会議所にボス・デーを登録し、自分のボスを食事に招きました。そこで、この日は部下がボスにプレゼントを贈り、食事に招待する習慣が生まれたのです。

あなたなら、どうします?

日本ではまだ習慣として定着していないようですが・・・。  

眼の愛護デー

目は”心の窓”と申しますが・・・

      眼の愛護デー

10月10日は体育の日であることは、よくご存知でしょう。その日は眼の愛護デーでもあるんです。これ、知ってましたか?

「灯火親しむ」秋は読書に最適とされて来ましたが、昨今は違うようです。日がな一日テレビと差し向かい、パソコン相手に睨めっこ、お子さんのいる家庭ではテレビゲームに夢中になる。

ご家族全部が眼を酷使する家が多いようですね。時々、眼を休ませてやらないと”おメメ”も可哀想です。

体の中で、唯一眼底の血管だけ直接見ることが出来ます。眼にはさまざまな健康状態が現れてきます。一度眼の検診を受けてみてはいかが?

余談ですが、つい最近私の妻(75)は白内障の手術を受けました。先生の執刀時間は僅か5分程度でした。どこの病院も眼科の待ち時間たるや大変なようです。手術を待つ患者さんで溢れている、そんな印象を持ちました。

☆ 記事は「実用歳時記」主婦の友社刊より引用させて戴きました。

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